戦後の1947年(昭和22年)春、当時19才だった斎藤晶は、山形市から北海道開拓団の一員として、旭川開拓団に加わりました。最年少だった晶にあてがわれたのは、農業には一番条件の悪い、笹だらけ、岩だらけの荒れ果てた石山でした。
死に物狂いで石を取り除き、原野を鍬(くわ)で起こし、笹や草を刈り払い、火入れを行い畑を開墾。タネを蒔き作物を植えるものの、片っ端から野ねずみや野うさぎに食べられていきます。
24才で結婚。夫婦で開墾を続けますが収穫はほとんど望めませんでした。
25才の秋、開墾の考え方から一歩退いて生きていく方法を模索し始めます。開墾した畑の半分は除草せず、雑草を伸ばして山羊や羊に与える方法です。借金をして妊娠牛1頭を購入し、搾乳を開始します。
27才で牛を3頭まで増やしますが、その矢先に妻が倒れ入院。
出産や育児、家事や開墾、畑仕事、家畜の世話等からの過労が原因でした。
また牛の管理や育てる技術が未熟だったために牛が乳房炎を発症し、搾乳量が減少。
一人の労力だけでは行き詰まり、お金も食べるものも底をつき疲れ果てたある日、晶は熊笹をこぎ分けて山に登ります。
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