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牛がひらいた牧場

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斉藤牧場とは

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~ 自然と牛と人が共生している場所、それが斉藤牧場です ~

◆どん底からのスタート

戦後の1947年(昭和22年)春、当時19才だった斎藤晶は、山形市から北海道開拓団の一員として、旭川開拓団に加わりました。最年少だった晶にあてがわれたのは、農業には一番条件の悪い、笹だらけ、岩だらけの荒れ果てた石山でした。

死に物狂いで石を取り除き、原野を鍬(くわ)で起こし、笹や草を刈り払い、火入れを行い畑を開墾。タネを蒔き作物を植えるものの、片っ端から野ねずみや野うさぎに食べられていきます。

24才で結婚。夫婦で開墾を続けますが収穫はほとんど望めませんでした。

25才の秋、開墾の考え方から一歩退いて生きていく方法を模索し始めます。開墾した畑の半分は除草せず、雑草を伸ばして山羊や羊に与える方法です。借金をして妊娠牛1頭を購入し、搾乳を開始します。

27才で牛を3頭まで増やしますが、その矢先に妻が倒れ入院。
出産や育児、家事や開墾、畑仕事、家畜の世話等からの過労が原因でした。

また牛の管理や育てる技術が未熟だったために牛が乳房炎を発症し、搾乳量が減少。
一人の労力だけでは行き詰まり、お金も食べるものも底をつき疲れ果てたある日、晶は熊笹をこぎ分けて山に登ります。

◆自然に逆らわない発想

山頂に登って回りを見渡すと、野鳥や昆虫が楽しそうに飛び回り、木々や草は勢いよく天に向かって伸びています。

『鳥や昆虫は、こんなに生き生きと暮らしているのに、人間は肉体を酷使して、その上金まで使って苦労に苦労を重ねても、何の成果にもつながらない。この違いはどういうことなのだろう。』

しばし野鳥の声に耳を澄ませ、山の懐に抱かれてみます。

『よし、虫と同じ姿勢で生きていこう。自然に立ち向かうのではなく、自然に溶け込んで生きていこう!』

そう決心しました。それは今までの常識からの決別でした。

◆訪れた奇跡

とはいっても牛にとって、野草だけでは不十分です。晶は、春先に畑に牧草のタネをまきました。そして山の、牧草地にしたい場所に密集する笹を刈り、適度に乾燥した頃、そこに火を入れ、タネをまきました。

タネは7種類まきました。土地に合った牧草が生えるだろうという考えからです。
そして思い切って牛を山に放してみました。

すると牛たちは、生え始めのやわらかい笹や野草を食べながら、ずんずんと奥へ分け入っていきます。標高380メートルもある山の山頂まで上ろうととするほどの勢いです。
と同時に、蹄(ひづめ)で牧草のタネを土中にしっかりと埋めてくれました。糞尿を落として肥料も入れてくれます。
まさに牛が山をひらいていく姿でした。

石だらけだった山が徐々に牧草地に変わっていきます。
安定した牧草地になるまで搾乳牛は1頭のみとし、肉牛の牛を預かったり、馬を貸したりで生活をしのぎました。

山に牛を放牧し始めて3年、山は見事な牧草地になります。
あれほど苦労した笹は、生え始めを牛に食べられるためか、いつしか生えてこなくなっていました。

◆自然と牛と人と

晶は、山にはすべてのものがそろっていたのに、自分がそれに気づかなかっただけだと悟りました。そして「荒れた山は開墾の敵」という思いから、「生活に様々な恵みをもたらす宝の山」そして「農業とは、自然に溶け込み、自然を学ぶ作業そのものだ」という思いに変わりました。

『ここには何もない、ここでは暮らしていけないと思っていた自分がつくづく情けなくなりました。ここには実は必要なものが全部そろっていた。なかったのは自分の能力だけ。』
晶はそう笑います。

しかしなら当時、近代化・合理化路線にひた走る日本の酪農の中で、晶のやり方は冷笑され、誰からも相手にされませんでした。

そのような中、1965年(昭和40年)、草地造成指導のためにニュージーランドから来日した著名な学者ロックハート氏が斉藤牧場を訪れ、「大変素晴らしい方法だ」と高く評価します。
晶のやり方は、スイスやニュージーランドの遊牧民族が行っている伝統的農法だとのことでした。

ロックハート氏を招いた道庁があわてて調査員を派遣し、その結果「蹄耕法(ていこうほう)」(牛をつかった牧草地造成法)という名前がつき、日本の学者に知られるようになりました。

日本の牧畜の多くは、木を切り表土をはぎ、土地を造成して良い土を他から持ってきます(「客土」(きゃくど)といいます。)。そこに草の種をまき、草地を作ります。

斉藤牧場では樹木は3割残します。木々は山を保水し、草を乾燥から守り、牛たちの木陰になります。あちこちから湧き水が流れ、自然の水飲み場ができます。
春にはコブシやサクラ、野草が次々と咲き乱れ、コゴミやタラノ芽などの山菜も豊富です。トンビやバッタ、コオロギなどの小動物も遊びます。

様々な木や動植物が暮らす山は、他のどの場所よりも豊かな土を持った場所です。

木が伸び伸びと生長できる場所としての山と、牛達が木陰に涼みながら草を食べる牧場としての山、「自然と牛と人」が共生している場所、それが斉藤牧場なのです。

◆斉藤牧場の本

本も出ています。是非ご一読いただければ幸いです。

◆斉藤牧場の受賞歴

2011年 第45回𠮷川英治文化賞

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